SexPistols
ロンドン・パンク・ムーブメントを代表するバンド
SexPistols(セックスピストルズ)。
ジョニー・ロットン
■ジョニー・ロットン
ジョニー・ロットン(Johnny Rotten、「腐れのジョニー」の意)の愛称でセックス・ピストルズのリード・ヴォーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。
ジョン・ライドン(John Lydon、1956年1月31日 - )は、本名。
<性格>
反抗的で不良じみたスタイルをアピールしているものの、実際はかなりのインテリで聡明な一面を持っており、ピストルズ以降の音楽活動でもパンクにとらわれない幅広い音楽性を見せた。
<エピソード>
母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。彼が「嫌いだ」と言う音楽(ザ・クラッシュやオアシスなど)は、殆どの場合実は理解のある音楽であり、一概に発言をそのまま受け取ることは出来ない。レッド・ツェッペリンは後期が好きだと言う発言からも窺える。
セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を書けと言われたライドン。後日持って来た詞はなんと「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関してのものであった。
ライヴでは派手なパフォーマンスを見せるライドンだが、実はいつも大変緊張していたらしく、緊張を和らげるためによく著名な舞台俳優の伝記を読み漁っていたという。
1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどは「ダイナソーロック」と代名され、嘲笑されるものとなった。この頃にライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前に(ふざけて)ひざまつき、神の如く拝める仕草をし(プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた)、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みだといい(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」。この素直で柔軟なキャラクターもライドンの魅力の一つであろう。ただし、その理由を「フィジカル・グラフィティは2枚組アルバムであり、曲が多く入っているから」だとするなど、一筋縄では行かない。
ピンク・フロイドの故シド・バレット、デヴィッド・ギルモアやロジャー・ウォーターズとも親交があり、マリブの邸宅は近所なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしている。
近年、アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった事が窺える。
女性ヴォーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用していた。ソニック・ユース、シュガーキューブスやL7などがブレイクを果たし、彼の見る目の確かさを物語っている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスやマドンナ等およそ彼のイメージからは想像も付かない曲ばかりを流していた。
1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした。
妻ノラとは法的には結婚をしていない事を明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、彼女の娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである。
勝手にしやがれ!! - Never Mind the Bollocks(1977年)
■勝手にしやがれ!! - Never Mind the Bollocks(1977年)
<解説>
プロデューサーのクリス・トーマスは、既にプロコル・ハルム、ロキシー・ミュージック、サディスティック・ミカ・バンド等を担当してきたベテラン。彼は、スティーヴ・ジョーンズのギターを何重にもオーヴァー・ダビングすることで、音に厚みを出した。
全英チャートで1位を獲得。アメリカではトップ100にも入らなかったが、その後も売れ続け、1987年にはゴールド・ディスクに輝いた。
タイトルの中の「Bollock」(睾丸の意)という単語が猥褻だという理由で、警察は本作の販売店に圧力をかけたが、裁判では猥褻に当たらないとされた。
「拝啓EMI殿」は、デビュー・シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」だけで契約を破棄した『EMI』を揶揄した曲。
本作発表から3か月も経たないうちに、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。
ベーシストのグレン・マトロックは「アナーキー・イン・ザ・U.K.」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」「プリティ・ヴェイカント」(二番の二行分をロットンが作詞した以外は作詞も担当)など半数以上の曲を一人で作曲したが「アナーキー・イン・ザ・U.K.」以外はレコーディングに参加していない。2000年に行われたインタビューで本作を「ラジオで一曲だけ聴くと凄くいいと思う。でもアルバムを通して聴くと、ちょっと平板というか。僕がいたら、もっとカラフルにできていたかも」と語っている。
《セックス・ピストルズ・ファイル(シンコー・ミュージック)より》
<収録曲>
1. さらばベルリンの陽 - Holidays in the Sun (3:20) ※
2. ボディーズ - Bodies (3:03)
3. 分かってたまるか - No Feeling (2:49)
4. ライアー - Liar (2:41)
5. ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン - God Save the Queen (3:19) ※
6. 怒りの日 - Problems (4:10)
7. セブンティーン - Seventeen (2:02)
8. アナーキー・イン・ザ・U.K. - Anarchy in the U.K. (3:32) ※
9. サブミッション - Submission (4:10) *
10. プリティ・ヴェイカント - Pretty Vacant (3:17) ※
11. ニューヨーク - New York (3:05) *
12. 拝啓EMI殿 - E.M.I. (2:57)
エピソード
母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。彼が「嫌いだ」と言う音楽(ザ・クラッシュやオアシスなど)は、殆どの場合実は理解のある音楽であり、一概に発言をそのまま受け取ることは出来ない。レッド・ツェッペリンは後期が好きだと言う発言からも窺える。
セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を書けと言われたライドン。後日持って来た詞はなんと「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関してのものであった。
ライヴでは派手なパフォーマンスを見せるライドンだが、実はいつも大変緊張していたらしく、緊張を和らげるためによく著名な舞台俳優の伝記を読み漁っていたという。
1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなどは「ダイナソーロック」と代名され、嘲笑されるものとなった。この頃にライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前に(ふざけて)ひざまつき、神の如く拝める仕草をし(プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた)、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みだといい(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」。この素直で柔軟なキャラクターもライドンの魅力の一つであろう。ただし、その理由を「フィジカル・グラフィティは2枚組アルバムであり、曲が多く入っているから」だとするなど、一筋縄では行かない。
ピンク・フロイドの故シド・バレット、デヴィッド・ギルモアやロジャー・ウォーターズとも親交があり、マリブの邸宅は近所なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしている。
近年、アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった事が窺える。
女性ヴォーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用していた。ソニック・ユース、シュガーキューブスやL7などがブレイクを果たし、彼の見る目の確かさを物語っている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスやマドンナ等およそ彼のイメージからは想像も付かない曲ばかりを流していた。
1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした。
妻ノラとは法的には結婚をしていない事を明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、彼女の娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである。
ヒストリー
1976年11月 - 結成
1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
その後スティーブ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人であるロナルド・ビッグスや、ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受けたが1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説のあるマルチン・ボルマン(これは本人かどうかも不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している)とのコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させた。マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)をレコーディングさせ、レコード発売もおこなっている。その後シドは恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的にはシドの代表的ナンバーとなった。
1996年には、ベースにグレン・マトロックを復帰させ再結成、世界ツアーを行い、来日した。海外の有名アーティストとしては異例の一ヶ月間かけた全国18公演を行っている。
2002年夏に二回目の再結成、イギリスとアメリカで2公演を行い、2003年夏にはアメリカツアーを行う。2007年11月に四回目の再結成を行い、ワールドツアーを展開。2008年、サマーソニックに出演。